旅に出たい人が書いたぶろぐ(仮)

元添乗員の「おこめ」が語ります。

四国バースデーきっぷへの憧れ〜行きたい場所が多すぎる

旅に出たい!

最近の願いはコレ一択です。

行きたい場所はたくさんあるのですが、

最近は車に乗って、ではなく列車の旅に憧れていまして。

もう若くはないですが、青春18きっぷの旅に憧れています。

 

そんな中見つけたのは「四国バースデーきっぷ」です。

もうこれ、絶対に使って四国に行きたいです。

 

【目次】

 

 

四国バースデーきっぷとは?

誕生月の連続3日、JR四国全線と土佐くろしお鉄道全線の特急列車が

乗り降り自由になるきっぷです。

ジェイアール四国バスの路線バス(高速バス除く)もご利用になれます。

グリーン車用と普通車自由席用があります。

JR四国HPより)

 

グリーン車用は15,000円、自由席用は12,000円。

1円でも安く旅をしたい!というなら話は別ですが

差額3,000円でグリーン車乗り放題になるので

今回の旅行は「オールグリーン車での移動」なんてリッチな旅行にしてはいかがでしょうか。

一年に一度のバースデーなんですから。

 

 

四国で行きたいところ、やりたいこと(全ては無理です)

リンクを貼ってあるので、かなり長くなっています。

【目次】より気になるところをご覧ください。

 

駅スタンプをたくさん押す

最近減りつつある駅スタンプ。

四国にはまだまだたくさんあるらしいので、

この機会にたくさん集めてみようと思います。

全駅集めたいわけではないの、利用した駅で押す。

くらいの感覚で行こうと思います。

 

www.jr-shikoku.co.jp

ものがたり列車に乗る

四国には多くの観光列車がありますが

特に3つの「ものがたり列車」に乗りたいです。

これらは全席指定、全車グリーン車なので

是非ともグリーン車用のバースデーきっぷを買って

ものがたり列車に乗ってみてください。

値段を気にせずに、乗り放題ですから。

一日中運行されているわけではなく、伊予灘ものがたりは1日2往復

それ以外は1日1往復なため、かなり行動が制限されてしまいます。

 

そしてこれらは列車の中も観光、おもてなしなので

通常の特急列車に比べて移動時間は長いです。

「移動」とだけ考えると、少しコスパは悪いかな?

 

伊予灘ものがたりの松山ー大洲間で比べると

伊予灘ものがたりは約2時間かけて移動するのに対し

特急宇和海を使えば約35分での移動になります。

 

日本全国に観光列車はいくつかありますが

クリーン車用のきっぷを使えば、追加料金なしで利用できるので

是非とも利用したいものです。

 

iyonadamonogatari.com

www.jr-shikoku.co.jp

www.jr-shikoku.co.jp

アンパンマン列車に乗る

アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが高知県出身ということで

四国は「アンパンマン推し」のようです。

そしてせっかく四国に行くならば、アンパンマン列車に乗るしかないです。

しかし運転日(曜日)や時間が決められているので、

要注意です。

ラッピングだけアンパンマンな列車もあれば

内装がアンパンマンなものまでさまざまです。

私はどうせならアンパンマンシートに座りたいです!

が、きっと回りは小さい子供がいる家族がほとんどなんでしょうね。

でも乗りたいです(笑)

 

www.jr-eki.com

村上海賊ミュージアム

www.city.imabari.ehime.jp

しまなみ街道を自転車で渡る(ちょっとでいい)

www.jb-honshi.co.jp

丸亀城

四国には現存12天守のうちの4つがあります。

松山城」「宇和島城」「丸亀城」「高知城」の4つです。

松山城」「宇和島城」は以前に行ったことがあるので

今回は残りの2城を攻めたいです。

www.city.marugame.lg.jp

高知城

kochipark.jp

大歩危、かずら橋、小便小僧

大歩危小歩危は名前は知っていたのですが

恥ずかしながら、どのようなものかは知りませんでした。

今回「四国まんなか千年ものがたり」の終点(始点)が大歩危駅なので

どのような場所か調べてみると・・・

行きたい!!

かずら橋?渡るのに500円かかるけど、絶対に渡りたい。

小便小僧は少し離れているようなので、行けるかな?

miyoshi-tourism.jp

miyoshi-tourism.jp

www.awanavi.jp

瀬戸大橋を渡る

岡山県児島駅は、岡山県にありながらJR四国の管轄。

つまりは児島駅までは、四国バースデーきっぷが使える範囲内なのです。

せっかくなのでアンパンマンロッコで、瀬戸大橋を渡ってみたいです。

www.jb-honshi.co.jp

www.jr-shikoku.co.jp

灘駅で電車が停まっている写真を撮る

かつて青春18きっぷのポスターに3度も選ばれたことのある駅。

ドラマの撮影地にもなっているそうです。

灘駅には行ったことはありますが、

車で行ったので列車は停まっていない時間でした。

なので今回は

伊予灘ものがたり」に乗って、

灘駅に停まる伊予灘ものがたりの写真を撮りたい!

seaside-station.com

はりまや橋

はりまや橋は「日本3大がっかり観光地」の一つです。

残り2つは「札幌時計台」「長崎オランダ坂」です。

はりまや橋は観光客が地元の人に

はりまや橋ってどこにありますか?」と

はりまや橋の前で聞くくらいの場所だそうです。

そこまで言われるはりまや橋を見たい!

 

www.city.kochi.kochi.jp

うずしおを見る

www.uzunomichi.jp

姫路城へ行こう・転用石の魅力と伝説

【リライト中です】

 

せっかくお越しいただいたのに、すみません。

只今リライト中です。

こうしばらくお待ちください。

 

 

 

 

今日は本当の転用石について語りたいと思います。

 

 

【目次】

 

転用石とは?なぜ転用石?

 

転用石を一言で簡潔に説明すると、

「別の目的で作られた石製品を石垣に使用した石」

です。

 なぜ別の目的でつくられたものを、わざわざ石垣に使用するのか。

気になりますよね?

一説には

「石材供給の体制が整っておらず、石材が不足していたから」

と言われています。

姫路城は比較的近い山塊から切り出され

城内に運ばれたと考えられているようですが

あれだけ広い城なので、当然これだけでは足りなかったようです。

そのためところどころに「古墳の石棺」「石灯籠」「宝篋印塔」「石臼」

「墓石」なども使われています。

 

墓石などを使うのは縁起が悪いと思うかもしれませんが

寺院や旧領地の墓地から徹発してきたらしく

権力の交代を示す意味でも、結構目立つところに使われるそうです。

また、呪術的な意味合いもあると考えられています。

 

姫路城で最も有名な転用石 姥ヶ石

姫路城 油壁近く

 石自体はとても小さいですが

網で囲わてれうので、すぐにわかります。

 

 おそらく姫路城の転用石で最も有名な転用石ではないでしょうか。

羽柴秀吉が姫路城を築城したとき

領内から石を集めました。

その時に城下で焼き餅を焼いていた老婆が石臼を献上し

それを石垣の間に積んだところ

石集めが順調に進み、石垣も瞬く間にできたという話が広く知られています。

 

この伝説は古いものではなく、江戸時代の記録には出てきません。

大正11年発行の「姫路城案内」に「お菊井戸」や

「腹切丸」とともに描かれていることから

大正元年の姫山公園公開にあわせて作られたという話もあります。

 

事実姥ヶ石のある乾小天守石垣の積み方は秀吉より下った池田輝政時代のもの。

天守台石垣には転用石はほとんどないので、

石臼そのものが城の公開に合わせてはめ込まれた可能性もあるでしょう。

ただ臼が女性の象徴とされることから、

その背景に山の神に通じる姥信仰の存在を指摘する説もあります。

 

実際の転用石あれこれ

はの門の基礎

 

水ノ三門 西側

 

るの門 内側



 

備前門外 備前丸北東側

 

岡崎城へ行こう・基礎知識編

お久しぶりの投稿になってしまいました。

そんな久しぶりの投稿の始まりは「岡崎城」を選んでみました。

以前に少し書いたのですが、

もう少し自分の中で詳しく調べてみたいという気持ちもあり

今日から何度かに分けて書いていきたいと思います。

よろしければお付き合いください。

 

 

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岡崎城徳川家康が生まれた城として有名です。

1959年には天守が3層5階建てに復興され、

2006年には日本100名城に選定されました。

 

城内には各階ごとにテーマを分けた歴史資料館になっており

展示物やジオラマシアターなどで岡崎城の歴史を紹介しています。

 

5階の展望室からは岡崎市内が一望でき

顔出しパネルで記念撮影もできます。

 

岡崎城HPより】

 

↓顔出しパネルはこんな感じです。

顔の部分は外れて、顔出しもできますよ。

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目次

 

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大手門(復元)

基本情報

別名:龍城

城郭構造:梯郭式平山城

天守構造:複合連結式望楼型3重3階

築城主:西郷稠頼(つぎより・つぐより)、頼嗣(よりつぐ)

築城年:享徳元年(1452年)(享徳4年説あり)

主な改修者:松平清康田中吉政、本多忠利

主な城主:西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏

廃城年:明治6年1873年

遺構:石垣、堀

 

概要

岡崎城は菅生川と矢作川の合流地点にある

龍頭山という丘陵を利用して作られています。

元は龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった

西郷稠頼(つぎより・つぐより)、そしてその子頼嗣(よりつぐ)が

北方に対する防御として築城したものです。

それを松平清康が西郷信貞から奪い取り

改修拡張工事整備をしたものが、この岡崎城なのです。

 

もとは平山城として築かれていましたが

本多康重から3代忠利(1600年から1645年)にわたる改修によって

平城となりました。

この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守が建てられました。

 

 

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本丸から北側へ6重、西側へ4重の外堀を廻られていました。

 

存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模であったが

1873年明治6年)の廃城令によって廃城となりました。

 

城内の天守以下の建物及び土地を払い下げ

現在は一切の建物を失い

本丸と持仏曲輪、隠居曲輪、風呂曲輪などの曲輪と

石垣、堀などの遺構を残すのみとなっています。

敷地は龍城神社、岡崎公園として整備されました。

 

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龍城神社

 

歴史

1452年(享徳元年)または1455年(康生元年)

 龍頭山の砦として三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城。

 

1531年(享禄4年)

 城内で竹千代(のちの徳川家康)が生まれました。

 当時櫓や門の屋根もなく、当時は石垣もなく

 ただ堀を掘ったその土をかきあげただけの土塁がめぐっていました。

 

1549年(天文18年)

 松平広忠が家臣の謀反によって殺害されると

 岡崎城は今川家の支城として城代が置かれました。

 

1560年(永禄3年)

 桶狭間の戦い今川義元が敗北すると

 松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は岡崎城を取り戻し

 今川家から独立しました。

 

1570年(元亀元年)

 徳川家康が本拠を浜松城へ移し、

 岡崎城は子の松平信康が入りました。

 しかし信康は謀反の疑いをかけられて自刃。

 以後、重臣の石川教正、本多重次らが城代を務めるようになりた。

 

1590年(天正18年)

 家康が関東に移封となると、豊臣家臣の田中吉政が入りました。

 家康に対する抑えの拠点として、吉政は城を拡張し

 強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備しました。

 城下町の整備も積極的に行い、現在の岡崎城の原型を作りました。

 

1602年(慶長7年)

 徳川氏譜代の重臣である本多康重が5万石で入城。

 以降徳川政権下では家康誕生の城として重要視され、

 譜代大名が歴代の城主を務めるようになりました。

 

遺構

現存建物

現在城内には現存する建物はありませんが

移築されたものがいくつかあります。

北曲輪門が額田郡額田町の民家に

北門(二の門)が西尾市西浅井町の宿縁寺に

念佛堂赤門が市内東阿知和町の謁播神社(あつわじんじゃ)に

それぞれ移築され、現存しています。

また市内の下青野町の慈光寺に

太鼓櫓を移築したと伝わる建物が残っています。

 

菅生川端石垣

2015年(平成27年)、中心地開発の工事で河川敷を掘り起こしたところ

石垣の一部が発見されました。

この石垣は岡崎城の絵図にも描かれた江戸時代前期の石垣、

「菅生川端石垣」であり、発掘調査により総延長は400mにわたり

現存する城壁としては国内最長となります。

 

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400mすべてみることはできないので

知らなければ、見落としがちです。

 

 

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夏越の大祓

今年ももう半年が過ぎてしまいました。

相変わらずコロナは収束しそうにないですし

当分旅にも出られそうにないですよね。

 

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「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」という行事を知っていますか?

名前は聞いたことありましたが

詳しいことは知りませんでした。

本日はそんな夏越の大祓に行ってきました。

もちろんきちんと調べてから行きましたよ。

 

 

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手水舎。

終わりかけのアジサイと、きれいなひまわりでした。 

柄杓はもうないですが、新しい手水舎となりそうですね。

 

 

【目次】

 

夏越の大祓とは?

 

多くの神社で、6月と12月に半年の罪や穢れを祓う

「大祓」が行われ

「茅の輪くぐり」という茅で作った大きな輪をくぐる行事が

合わせて行われることがあります。

この輪をくぐると、

流行する病にかからず無事過ごすことができると言われ

これは『備後國風土記(びんごのくにふどき)』に記されている

蘇民将来の逸話に関りが深いとされています。

 

どんなことをするの?

 

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私たちが日常生活の中で知らず知らずに犯してしまった罪、

積もり積もった穢れを人形(ひとがた)に託して身体を清めます。

 

茅(ちがや)という植物から作った巨大な輪を

左右から八の字を描くようにその輪の中をくぐっていきます。

そうすることで穢れが祓い清められると言われています。

 

限定御朱印

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7月末まで授与しています。

最近はコロナの影響で、長期にわたり授与していただけることが多いので

急いでいかなくてもいいのが嬉しいです。

ただコロナが続くのはもちろん嬉しくないですけどね。

 

今日のおみくじ(おまけ)

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ぱっと明って消えていくような、花火信仰じゃたよりない

苦しい時にはやれ神様と騒ぎ立てる。

嬉しい時にはそれ神様と拝みたてる。

は平穏無事の日が続くと、ケロリと忘れて拝みもせぬ。

神様と共にふし、神様と共に起き、

永久に変わらぬ信仰、動かぬ信神が大切、

無事の御恩を味わい知るべきであろう。

 

「痛いところを突かれた」そんな気分でした。

今回もおみくじは持ち帰ってきたので

常に信仰の気持ちを忘れずに行きたいと思います。

 

本日も中吉でした。

最近中吉続き…。

しかし今日はそんな中吉でも前向きな中吉でしたよ。

 

願望・・・今は思い通りにならないが叶うようになる

待ち人・・・来る 楽しみに待ちなさい

就職・・・自己に適した職を授かる←転職したくて仕方ない

失物・・・出ます 西を探せ

 

なかなかよさそうな内容じゃないですか?

しかも「失物」が出てくるなんて!!

 ありがとうございます、西を探します。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

「知らず知らずのうちに犯した罪」というのが気になるところですが

おそらく人は誰でも大なり小なり罪を犯すのではないでしょうか。

犯してしまったことをいつまでも引きずるよりも

新たな気持ちで残り半年を過ごそうと思います。

 

 

 明日からも新たな気持ちで頑張ります。

 

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岡城へ行こう(大分県竹田市)大手門までの道のり

岡城はご存じでしょうか?

日本100名城の一つの城で、

トリップアドバイザー2018では

姫路城、二条城、松山城松本城に続いて

なんと5位にランクインした城なのです!!

 

www.tripadvisor.jp

 

城跡のなかで最も順位が高かったのは、

5 位の『岡城阯』(大分県竹田市)でした。

『岡城阯』は 18 位だった昨年に比べ 13 位もランクアップ。

現在は石垣を残すのみですが、

滝廉太郎『荒城の月』のモデルとなった城として知られ、

「歌の通り、月とのコントラストが最高です。」

といった口コミも見られました。

 「トリップアドバイザーより」

 

 なぜ岡城がランクインされたのかはわかりませんが

岡城へ行くなら、少しでいいので下調べしてください。

でないと

「石垣が多いね」「景色がいいね」で終わってしまいます。

山城なので、景色はいいですが

どうせ行くなら少しでも楽しんでもらいたので

この記事が有意義なものになると嬉しいです。

 

 

 【目次】

 

 

岡城の歴史

 

岡城は文治元年(1185)緒方惟義(おがた これよし)が

源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したのが始まりと

言われています。

その後文禄3年(1594)中川秀成(なかがわ ひでしげ)が移封され

入城後3年がかりで大規模な修築を施しました。

この時石垣普請に山岸金右衛門などが携わりました。

中川氏により総石垣の城郭へと改修された岡城は

断崖絶壁上を石垣で取り囲み

その上に塀や櫓などの建物が立ち並ぶ大城郭となりました。

 

見どころ(駐車場~大手門まで)

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距離で言えばわずかです。

しかしそんなわずかな距離でも見どころはあります。

 

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後ろは桜の木です。

桜の季節はおススメです。

 

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この石垣の高さ。

とても攻めきれる気がしません。

こういった場所は、実際に自分は攻める側になったことを

想像してみると、

いつもとまた違った楽しみができますよ。

 

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見上げると、そこは大手門。

本当に「難攻不落」という言葉に納得です。

 

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大手門跡。

左の凹部分に柱を通し、櫓がありました。

 

 

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石垣だけでは大きさはなかなか想像できませんが

復元図を見ると厳重な門であったことがよくわかります。

 

ここ大手門には侍番がおかれ

城内への出入りには、かなりの注意が払われていました。

 

文禄3年、中川氏の入封後

かつての大手門はここよりも東側に設けられていましたが

慶長17年(1612)にここ岡城に立ち寄った

築城の名手、藤堂高虎の助言により

現在の場所に替えられたと伝えられています。

 

100名城スタンプ&御城印

 

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スタンプの石垣は、岡城と言えばここ!!というくらい

岡城を代表する石垣です。

 

私が登城した2018年はまだ御城印がありませんでした。

なのでまだ手元にはないんです。

いつかまた行きたいんですけどね。

 

 スタンプも御城印も駐車場の観覧料徴収所でいただけます。

その際に城内のマップを頂けるのですが

これ、巻物になっています。

面白くていいのですが、これを見ながらの見学は

ちょっと邪魔になってしまいます。

なのであらかじめ公式HPからマップを印刷して

持参することをお勧めします。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

みなさんの岡城への登城が少しでも楽くなる

お手伝いができたら、と思います。

 

 

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お城へ行こう・石垣の基礎知識【ちょっと変わった積み方】

先日石垣の基本の積み方について語りましたが

いかがでしたか?

 

okome-kg.hatenablog.com

 

今日はちょっと変わった積み方について語りたいと思います。

変わった積み方って何?と思いますよね?

書いている自分でも思います(笑)

「変わった」というより、基本以外という感じで語ります。

 

これを見ると城への訪問が少しだけ楽しくなります。

そんなお手伝いのできる記事です。

 

【目次】

 

亀甲積

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岡城

 

文字のままですが、六角形に加工して積み上げる切込接の一種。

亀の甲羅の模様に見えるためにこう呼ばれます。

力が均等に分散するため、崩れにくいようです。

 

谷積

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 岡城

 

石の対角線を縦に向けて斜めに積む積み方。

落積み(おとしづみ)とも言います。

 

笑い積

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姫路城・ぬの門横

 

大石の周りに比較的小さな石を積む積み方。

この写真の左橋の真ん中あたりに、

ハート形の石があります。

 

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スマホの待ち受けにすると恋が実る

なんて都市伝説ありそうじゃないですか?

実際には聞いたことないですけどね(笑)

 

 

間知石積

大きさの揃った四角錐の石を谷積にする積み方。

間知石という四角錐の石を使うため

外観だけで判断することはできません。

 

算木積

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 大坂城

 

石垣の隅の部分の積み方。

長方形の石を使って長辺と短辺を互い違いに積む積み方です。

石垣の角は崩れやすかったので、最も念入りに、

そして強固に作られるようになりました。

そのためこの部分は通常より大きな石を丁寧に加工して使うようになりました。

 

算木積の両側は、布積の切込接です。

 

巨石・鏡石

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大坂城・蛸石

 大坂城内第一位の巨石。

表面積がおよそ36畳(59.43平方メートル)、重量は108トンと推定されています。

左にあるシミが蛸のように見えるので、「蛸石」と呼ばれています。

 

前に立っている人と比べると

とても大きいことがよくわかります。

 

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岡城・大手門

 

当時、職人の技術力や大名の力を外部にアピールするため

石垣に一際大きな石を埋め込むスタイルが

各城で見られました。

この大きな石は「鏡石(かがみいし)」と呼ばれます。

 

他にも呪術的な意味を持つとも言われています。

 

かまぼこ石

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岡城 

 

現在来城者用の入り口として使用されている大手道には

不思議なアーチ状の石垣があります。

これは「かまぼこ石」と呼ばれ、ほかの城ではみられない

岡城の特徴のうちの一つです。

政策技法などについて謎の部分が多く、

調べてもほとんど何もわかりませんでした。

 

 

石垣と一言で言っても、積み方一つをとっても

たくさんありすぎて、本当に奥が深いということが

よくわかります。

城へ行くときは、ちょっとだけ石垣にも注目してみてください。

今までとは城の見方が変わるのではないでしょうか。

 

本日もここまで読んでいただきありがとうございました。

皆さんの城への訪問が少しでも楽しくなる

お手伝いができたら…と思います。

お帰りにポチとお願いします。

 

 

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お城へ行こう・石垣の基礎知識【基本の積み方】

石垣は奥が深いです。

そもそも「なぜ石垣が存在するのか?」ですよね。

城は住むためのものではなく、国や領主を守る「軍事施設」です。

そのため城の中には特になにもありません。

↓姫路城内部です。

 

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写真は東小天守ですが、大天守もこのような感じでした。

 

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こちらは武器を置いておくための場所です。

これらは至るところにありました。

こういった軍事施設をを守るためにも、

石垣はとても重要なものでした。

 

【目次】

 

基本の積み方

石垣は積み方が2種類、石の加工の仕方が3種類あり

大きく分けて6種類に分類できます。

 

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図が適当すぎるのは気にしないでください(笑)

布積

石垣の積方向の並びに注目して

横方向に列がほぼ揃って並ぶ積み方。

同じような高さの石材を選んで積まなければならないが

技術的には優しい。

 

乱積

横方向の列が乱れている積み方。

大小不規則な形状の石材を積み上げたもので

横目地が通らない。

上下左右の石材をうまく組み合わさなくてはならず

高度な技術が必要とされた。

 

野面積

自然の石をあまり加工せずに積み上げたもの。

丸みのある石が多いのが特徴である。

ただ目が粗いので、手がかり、足掛かりができ

土塁よりも登りやすいという欠点がある。

打込接

積み石の接合部分を加工して、石同士の接合面を増やし

隙間を減らしたもの。

石同士の隙間が少ないため、野面積に比べ登りにくくなった。

切込接

 積み石を加工し、石同士の隙間を全くなくしたもの。

元和以降(1615~)になると、この切込接が多用されるようになった。

 

 実際の石垣

野面積 × 布積

 

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姫路城 菱の門東方

 

野面積 × 乱積

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府内城 天守

 

打込接 × 布積

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姫路城 西の丸

 

打込接 × 乱積

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姫路城 扇の勾配

 

切込接 × 布積

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岡城 二の丸跡

 

切込接 × 乱積

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岡城 本丸跡

 

野面積 → 打込接 → 切込接 の順に新しくなっていきますが

必ずしもそうとは限らないようです。

石垣を作るにはとても多くの石を必要とするので

以前に野面積の石垣として使われていたものを

新しく作る石垣に使用したりすることもあったようです。

そのような例外はあるにせよ

石垣を見ただけで、ある程度の年代がわかってしまうのはすごくないですか?

 

次回石垣を見るときの参考にしてみてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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