旅に出たい人が書いたぶろぐ(仮)

元添乗員の「おこめ」が語ります。

姫路城へ行こう・転用石の魅力と伝説

【リライト中です】

 

せっかくお越しいただいたのに、すみません。

只今リライト中です。

こうしばらくお待ちください。

 

 

 

 

今日は本当の転用石について語りたいと思います。

 

 

【目次】

 

転用石とは?なぜ転用石?

 

転用石を一言で簡潔に説明すると、

「別の目的で作られた石製品を石垣に使用した石」

です。

 なぜ別の目的でつくられたものを、わざわざ石垣に使用するのか。

気になりますよね?

一説には

「石材供給の体制が整っておらず、石材が不足していたから」

と言われています。

姫路城は比較的近い山塊から切り出され

城内に運ばれたと考えられているようですが

あれだけ広い城なので、当然これだけでは足りなかったようです。

そのためところどころに「古墳の石棺」「石灯籠」「宝篋印塔」「石臼」

「墓石」なども使われています。

 

墓石などを使うのは縁起が悪いと思うかもしれませんが

寺院や旧領地の墓地から徹発してきたらしく

権力の交代を示す意味でも、結構目立つところに使われるそうです。

また、呪術的な意味合いもあると考えられています。

 

姫路城で最も有名な転用石 姥ヶ石

姫路城 油壁近く

 石自体はとても小さいですが

網で囲わてれうので、すぐにわかります。

 

 おそらく姫路城の転用石で最も有名な転用石ではないでしょうか。

羽柴秀吉が姫路城を築城したとき

領内から石を集めました。

その時に城下で焼き餅を焼いていた老婆が石臼を献上し

それを石垣の間に積んだところ

石集めが順調に進み、石垣も瞬く間にできたという話が広く知られています。

 

この伝説は古いものではなく、江戸時代の記録には出てきません。

大正11年発行の「姫路城案内」に「お菊井戸」や

「腹切丸」とともに描かれていることから

大正元年の姫山公園公開にあわせて作られたという話もあります。

 

事実姥ヶ石のある乾小天守石垣の積み方は秀吉より下った池田輝政時代のもの。

天守台石垣には転用石はほとんどないので、

石臼そのものが城の公開に合わせてはめ込まれた可能性もあるでしょう。

ただ臼が女性の象徴とされることから、

その背景に山の神に通じる姥信仰の存在を指摘する説もあります。

 

実際の転用石あれこれ

はの門の基礎

 

水ノ三門 西側

 

るの門 内側



 

備前門外 備前丸北東側