今日は加藤清正つながりで、名古屋城の石垣について語りたいと思います。
名古屋城は現在老朽化や耐震性の確保などの問題に対応するため
現在天守閣は閉館しています。
それ以外は見学できます。
【目次】
名古屋城はどんな城?
名古屋城は慶長20年(1615)、徳川家康によって建てられました。
黄金の鯱を頂き、史上最大の延べ床面積を誇った大天守
絢爛豪華な本丸御殿、
さらに鉄壁の守りを固めた要塞としての機能を備え
城郭として国宝第一号にしていされた名城でした。
戦災で焼失後も、国内屈指の城郭として国の特別史跡に指定され
復元された本丸御殿などが、往時の姿を鮮やかに使えています。
名古屋城の石垣
天守台石垣
名古屋城の石垣は、徳川家康の命により西国を中心とした20の大名による
公儀普請で築かれました。
名古屋城の石垣の丁場割を見ると、重要な天守台の丁場は加藤清正が任されました。
これは徳川家康が加藤清正の技術の高さを認めていたからだとされています。
清正石
名古屋城で最大の石垣石財、ここ本丸搦手(からめて)枡形の石垣は黒田長政の担当であったが
巨石であるがゆえ普請の名手加藤清正が積み上げたと伝えられ
清正石と呼ばれてきた。
(石横の案内看板より)
石垣の刻印
石垣に丸の中にTのような文字?記号?があるのがわかりますか?
これは刻印と呼ばれているものです。
刻印とは、丁場(各大名の割り当てられた区画)の範囲を示すため
また各大名が運搬してきた石垣の所有を示すために
石材の表面に彫り込んだ様々な記号のことを言います。
刻印がないと誰の所有する石かわからなくなり、石を横取りしたり
盗難による大名間の争いが絶えませんでした。
名古屋城は多くの大名に細かく割り当てられていたせいか
刻印は多くの場所で見られます。
探さなくてもすぐに見つかります。
刻印は家紋であったり、文字であったり、記号であったり、いろいろです。
名古屋城のHPを見てみると、丁場割りが見られるので
その図と刻印を照らし合わせてみると、おもしろいかもしれません。
名古屋城の石垣は本当に多くの大名によって石垣が築かれているので
その点に気を付けながら石垣を見てみると、新たな発見があると思います。
名古屋城といえば「金の鯱」「二の丸御殿」が有名だと思いますが
次に行くときはその中に「石垣」を加えてみてください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。